終了シーケンスとしての favorite
from
ハンドシェイクとしての「ありがとう」と「さようなら」
終了シーケンスとしての favorite
twitter などで行われる、リプライツリー最後の「読みました」としての favorite
もしくは「付き合ってくれてありがとー」という感謝を示す favorite
相手のためではなくて自分のために必要なのかも
「さようなら」は進化において必要だった
そもそも別々に発祥したはずの言語にも関わらず、世界中に「さようなら」が存在するということは、進化においてそれは必要だったということなのでは?